一手拍を成さず

先日、NHKで放送されていた「大峰千日回峰行の道を行く」という番組の中で、未だ成し遂げた方が二人しかいない大峰千日回峰行という荒行を成し遂げた塩沼亮潤 大阿闍梨が「護摩のお陰で願いが叶ったと参拝者が口々に語りますが、観る人の心を奮い立たせる護摩が参拝者に勇気と希望の火を灯し、神仏に頼るだけでは無く、参拝者の心持ちの変化が願いを叶える決め手になる」と仰っておられました。

弘法大師の み教えに次のようなお言葉があります。

「一手拍(いっしゅはく)を成さず 片脚(へんきゃく)
歩むこと能(あた)わず 必ず彼此の 至誠によってすなわち感応(かんのう)を致す」 高野雑筆集

片手では拍手ができません。片脚ではなかなか前に歩むことはできません。御仏と私達の一体の心、相互の真心によって感応すなわち自分の信心 祈りが通ずるのです。

お加持するという言葉を耳にされた事があるかと思いますが、「加持」とは古には仏所護念といい、仏菩薩が護り加える所をいい、衆生(人々)を加護する働きをいいます。加持とは如来の大悲と衆生の信心を表すと弘法大師が説かれるように「加」は御仏の不思議な力が私達に加えられ、その慈悲を受け止める信心を「持」といいます。

弘法大師も祈願をして心願成就には、やはり他力だけでは無く、自力による努力が必要であることをお教えくださっています。

常に私達に向けられている仏さまの至誠に応えて 自らの至誠を尽くすことが大切で、その真心の祈りに感応して、願いを叶えてくださるのです。
合掌

真言宗 石動山 明王院

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